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広島高等裁判所 昭和44年(う)194号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三年に処する。

原審の未決勾留日数中一〇〇日を右本刑に算入する。

原審の訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

弁護人柴田昇、同本間大吉の控訴の趣意は記録編綴の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

事実誤認の控訴趣意第一(被告人の本件所為は正当防衛ないし過剰防衛にあたるとの論旨)について。

原判決は、本件の被害者田中幸正が短刀を右手に握り、被告人の左腹部附近を目がけて突きかかってきたのに対し、被告人が左手で被害者の右手首を握り、右手でその短刀をもぎ取ったとの事実を認定し、被告人が被害者から短刀を奪取した時点においてすでに急迫不正の侵害は止んだものということができ、その後に、被害者が左手で被告人の短刀を持った右手首を握り被告人から短刀の奪回をはかった程度では急迫の侵害があったとはいえないとして、被告人の本件所為は正当防衛はもちろん過剰防衛にもあたらない旨説示する。

そこで、記録および原審において取り調べたすべての証拠を調査して、原判決の右認定判断の当否を検討するに、被告人は、検察官に対する供述調書において、原判決認定のごとく被害者から短刀で突き刺されようとした後本件所為にいたるまでの状況につき、「私は、とっさのことで突いてきた田中の右手首を私の左手でつかみ、刺されるのを防いだ。同時に、左にねじるようにして田中の右腕をねじあげ、右手で田中の左襟首をつかんだ。そうすると、田中が更に左手で右手の短刀を取ろうとしたので、私は、これを左手に持たれたのでは刺されると思い、田中の握っている右手の指を私の右手でこじあけるようにして開かせ取り上げた。(中略)私が短刀を取り上げると田中が私の右手首をつかんできたので、これを取られたら大変だと思い、そこで取っ組み合いの格好で互いの腕をはずそうと引っ張り合いをしていた。そうしているうちに、私は、このままではいつ田中に短刀を取られ刺されるかも判らないので、無我夢中で田中を押しのけようとするとともに田中の胸を刺した。」旨供述し、右現場の状況については他に目撃者も存せず、被告人の右供述を覆えすに足る適切な証拠は何もないのであるから、主に右供述によって認められる事実関係に基づき考察するほかはないというべきところ、右供述のごとく、被告人は、被害者からいきなり短刀で突き刺されそうになり、左手で同人の右手首を握るなどして同人の攻撃を防ぎ、次いで、同人が左手に短刀を持ち替えようとするので、同人の右手をこじあけてようやく短刀を取り上げるなど防禦につとめたが、さらに、同人は、被告人の短刀を持った右手首をつかみ、これを奪われまいとする被告人との間で取っ組み合いのような態勢となった経過に徴すると、被害者は、終始被告人に対し攻撃的挑戦的な態度を示し、被告人から短刀を取り上げられた段階においても被告人に対する攻撃を断念したものとは思われず、被告人から短刀を奪い返したうえ再び短刀をもって攻撃を継続する意図をも抱き、被告人の右手首をつかむなどして被告人に立ち向ってきたものとみることが合理的であるものと考えられ、このような状況のもとでは、被告人に対する急迫不正の侵害はなお継続していたものと認めるのが相当であり、右と異なる原判決の認定判断は是認することができない。そして、被告人が、被害者の攻撃に対し、防衛の意思をもって、原判示所為に出たものであることは、≪証拠省略≫によってこれを認めることができるのであるから、被告人の本件所為は全体として防衛行為にあたるものといわなければならない。しかし、刑法三六条一項にいう「已ムコトヲ得サルニ出テタル行為」とは、急迫不正の侵害に対する反撃行為が、自己または他人の権利を防衛する手段として必要最小限度のものであること、すなわち、反撃行為が侵害に対する防衛手段として相当性を有するものであることを意味するのであって、反撃行為が右の限度を超える場合は正当防衛が否定されるのである。これを本件についてみるのに、前示のとおり被害者の被告人に対する急迫不正の侵害がいまだ継続しているとはいえ、被告人は、被害者の突きかかってきた短刀を取り上げることによって、自己の生命に対する危険は一応遠のいたのであるから、被害者の生命に危険を及ぼさない程度の反撃行為を加えることが防衛手段として相当性を有するものというべきところ、被告人は、右の限度を超え、短刀をもって被害者の左胸部を突き刺し、同人の生命を奪うにいたったのであるから、被告人の本件所為は正当防衛とはならず、防衛の程度を超えた過剰防衛にあたるというべきものである。したがって、原判決が被告人の本件所為を過剰防衛にもあたらないとしたのは、事実を誤認したものであって、その誤が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決はこの点において破棄を免れない。論旨は右の限度で理由がある。

事実誤認の控訴趣意第二(被告人には殺意がなかったとの論旨)について。

記録および証拠を調査するに、≪証拠省略≫によると、本件犯行に使用された凶器は、刃渡約一五センチメートルの容易に人を殺傷するに足る鋭利な短刀であって、被告人は、右短刀をもって被害者の左胸部を力一杯突き刺し、よって同人に心臓に達する深さ一一・五センチメートルの刺創を与えて即死させたことが認められ、右認定の事実に徴すると、被告人には少なくとも被害者を死にいたすかも知れない旨の認識があったことを肯定しうるのであって、原判決が被告人の殺意を認定したのは正当として是認することができる。この点に関する論旨は理由がない。

よって、量刑不当の控訴趣意に対する判断を示すまでもなく、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書を適用して、当裁判所において本件被告事件について更に判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、下関市彦島江ノ浦七町所在有限会社成東工業所の現場責任者であり、同社経営者鄭今実の弟であるが、昭和四三年九月二八日午後一一時ごろ、かつて同社で働いていた折同社から七万円余を借りたまま行方をくらましていた田中幸正(当三二年)が再び同社で働くため、同市大和町所在三菱重工業株式会社大和町工場内城東工業所寮前に着いた際、同人に対し「今度うちで働いてくれるなら真面目にやってくれんにゃ困るぞ。」と注意したところ「お前、人の居るところで言わんでもええじゃないか、言いたいことがあれば向うで言え。」と附近の貯木場の方を指さして返答したことから、同人と共に同所から約二四メートル離れた同市東大和町一四、臨港地域貯木場内に移動して向い合い、同所で被告人が再び「うちで働いてくれる以上前のようなことがあっては困るぜ。」と注意したのに対し、田中が「お前気のきいたことを言うな。」などと言うなり、ジャンパーの裾の方から刃渡約一五センチメートルの短刀を取り出し、鞘を払って右手に握り、被告人の左腹部附近を目がけて突きかかってきたため、とっさに左手で田中の右手首を握り、右手で短刀をもぎ取るなどして防いだが、なおも同人が被告人から短刀を奪い返そうとして、左手で被告人の右手首を握り立ち向ってきたので、被告人は右のごとき同人の急迫不正の侵害に対し自己の身体を防衛するため、殺意をもって右短刀で同人の左胸部を突き刺し、よって同人に心臓に達する深さ一一・五センチメートルの刺創を与え、即時同所において右刺創に基づく心嚢栓塞により即死させて殺害したものであって、被告人の右所為は防衛の程度を超えたものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(累犯前科)≪省略≫

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一九九条にあたるところ所定刑中有期懲役刑を選択し、被告人には前示の前科があるので同法五六条一項、五七条により同法一四条の制限に従い再犯の加重をした刑期範囲内で処断することになるが、本件所為は過剰防衛であって被害者に責むべき点のあること、被告人は犯行後直ちに警察官に自首し改悛の情を示していること、被告人の実兄において被害者の葬儀費用を負担したほかその霊を厚くとむらっていること等所論指摘の事情をも参酌したうえ、被告人を懲役三年に処し、原審未決勾留日数の算入につき刑法二一条、原審訴訟費用の負担につき刑訴法一八一条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高橋英明 裁判官 浅野芳朗 一之瀬健)

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